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中国の文化遺産「十三陵」簡単な解説

上一篇 / 下一篇  2008-01-26 19:43:33 / 个人分类:日语学习

十三陵では、これを除いた陵墓前の石碑はすべて「無字碑」である。この不思議な現象には、ある歴史が隠されている。明の太祖朱元璋はかつて「亡くなった皇帝の陵碑の碑文は、かならずその後継ぎの皇帝が記さなければならない」という規則を定めた。しかし、長陵以降の献、景、裕、茂、泰、康の各陵墓の陵門前には、建築時に碑亭と石碑が建てられなかった。現在、これらの前にある石碑はみな明の仁宗嘉靖年間 に増築されたものである。そのため、碑文は嘉靖帝が記すはずであったが、彼は執政をきらった暗愚の君主であった。それほど多くの碑文を記すという気持ちがどこにあったろう。それで碑文は空白になった。のちの皇帝も多くは暗愚の君主であり、嘉靖帝のやり方を真似たために、それらの無字碑が残された。
 敷地面積10ヘクタールの「長陵」は、十三陵を代表する最大規模の陵墓である。永楽7年(1409年)に創建され、4年の月日をかけて完成、すでに600年の歴史をほこり、十三陵の中でももっとも保存状態がよい。
 とりわけ、その「享殿」(または 恩殿)は、明の皇帝陵の中で唯一、今に残る陵殿である。大殿(本堂)の幅665六メートル、奥行き2912メートル、高さ251メートル、総面積は1956平方メートル。明清代の宮廷、故宮の「太和殿」(皇帝が執政した殿堂)の規格によく似ている。
 殿内は「金磚」(故宮建築のさい、殿内の床に敷いた蘇州などで焼成された大型レンガ)が敷き詰められている。また、木材はすべて雲南、貴州、四川、広東、広西などの地の銘木「金絲楠木」が使われている。とくに、殿内にそびえる高さ1258メートル、32本の巨大立柱は、いずれも直径1メートルを超える金絲楠木で、世にまれに見る逸品である。当時、これらの巨木を伐採するには、夫役に駆り出された者が、獣が出没するような人里離れた山奥に入らなければならなかった。多くの命が、山奥で失われた。「入山一千、出山五百」(千人入山しても、下山するのは五百人)ということわざがあるが、それは彼らの労苦と危険な作業を描写している。

TAG: 十三陵 中国 解説 太祖 文化

 

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