最後の自由人
蛭川幸茂は名古屋市に育ち、昔の八高をたて、大正十五年、東京大学の数学科を出た。
直ぐ当時の松本高校の教師になった。
学生としては、常に同輩を驚かす抜き群の秀才だったそうだか、いわゆる優等生の要素
は薬にするほど持ち合わせていなかった。当人の言うところによると。身体頑健、性質
狂暴、学問のほかに、生きがいを見出したのは、陸上競技であるらしく、いくつになっても、
黙々と練習を続け、黙々として楽しんでいた。みずから、称して陸上競技ゴロと言った。
「ひとつには陸上競技をめぐる数字の戯れが、ひどくおれをひきつけたのだ。」とは彼の告白である。
『おれから陸上競技をうばったら、おれの精神力は半減するだろう。そしてそのままにしておけば、
やがて自滅するだろう。」とも言っている。それに、特に自信があるのは歯の丈夫さであった。
その原因の一つは幼年、少年時代に甘いもの、菓子類をほとんど食わされなかったにあるらしい。
译:最后的自由人
蛭川幸茂出生在名古屋市,经过以前的八高,毕业于大正十五年东京大学的数学系,
之后就在当时的松本高中学校担任了教师。
听说学生时代是经常让同学们震惊的出类拔卒的优才生,但是他却不具有所谓的优才生的天资。
他本人说自己身体健壮、性格粗暴,除了学识之外,能够体现生存的意义的就是体育运动。
即使上了年龄也会继续坚持练习,体会其乐趣。说自己是“体育棒子”
他坦白地说[最吸此他的是围绕体育的数字游戏]。[如果不让他再从事体育了,
那么他的精神会大大减弱,如果这样持续下去那么他会死掉]
并且,他最自信的是自己的牙齿。应该是幼年、少年的时候几乎不吃甜食或点心的原因。